寛文13年(1673年)、大阪の鴻池善右エ門が当地で佐山鉱山を発見、その当時に建てられたと伝えられています。七面大天女を祀り、法華宗門の霊場として東北各地の信者の祟敬を集めています。5月1日開山祭、8月19日大祭、11月5日閉山祭などの祭典が行われています。
霊場巡拝のコースは、大堂、鬼子母尊神堂、前御殿、観音堂、開運橋、本殿、太平山三吉堂、龍神沼などです。

 

国道105号線の阿仁トンネル出口から約800m、萱草大橋からは約500m、道路の頂点付近に七面山への入り口があります。萱草駅からは7〜800mぐらいです。
道路は舗装されていますが、車1台通れる程度の細い道です。往路は急な上り坂しかも曲がりの連続になります。途中、車がすれ違い出来るよう退避場所はありますが、カーブの連続のため対向車が見えず、対向車と鉢合わせした場合は待避所までバックで戻らなければなりません。急な細い坂道しかも曲がりの連続、おまけに谷側は急斜面、山側には口を開けた側溝・・・対向車に会わないようビクビクしながら運転していました。頂上を越えたら勾配も緩くなり、曲がりも緩やかで数も少なくなります。
やがて直線になった道路の右手に七面山会館が見え、そこに駐車場があります。緊張して運転していたので所要時間を確認しませんでしたが、入り口から10分程度で着くかと思います。平均速度20km/hぐらいなので3kmぐらいでしょうか?

国道105号線の脇に入り口の看板がありますのですぐ分かります。笑内方面を見ていますので看板の所を左折します。

無事、対向車もなく到着。 ^ ^;
杉林の向こうに社殿が見えます。

橋は2本。こちらは参拝用。この橋の左にもう1本あり、奧には車両が置いてあるので車で通行できる構造なのでしょう。(参拝者は車で通行しないで下さい。)

 

鳥居をくぐり、右手に七面山の案内看板があります。
ちょっと道順が分かりにくいのですが、頑張って読み取って下さい。

「大堂」です。本殿だと思っていたのですが、社務所兼祭礼等で使う建物のようです。写真には写っていませんが左に「庫裡」(神官の住居・倉庫)があり、間のトンネルのような所をくぐって参道へ向かいます。

「大堂」に掲げられた扁額です。

 

「大堂」手前、案内の横にあるのは「妙見大菩薩」。
星の信仰から生まれた神様で、"妙見"とは優れた視力の意味で善悪や真理をよく見通す者ということ。
鎮宅霊符神、海上安全の神、商業の神、眼病平癒の神など、御利益は多岐に亘ります。また日蓮宗では学問の神様、知恵の神様として広く信仰されています。

「大堂」の裏手に回ると「浄行菩薩」「不動明王」の祠があります。
「浄行菩薩」は、お釈迦様から世の中に法華経を広めることを命じられた重要な菩薩です。煩悩を浄める、身体健全の祈願などの信仰があります。
「不動明王」は大日如来の化身とされ、密教の五大明王の主尊です。迷いの世界から煩悩を断ち切るよう導いてくれる仏様で、疫病退散の守護神としても信仰されています。

「浄行菩薩」「不動明王」の右横には「息災延命地蔵菩薩」があります。
「地蔵尊」は、無病息災、長寿祈願として信仰され、お地蔵様とも呼ばれ、民衆に広く知られています。

 

「浄行菩薩」「不動明王」の左横には「南無妙法蓮華経」と刻まれた石柱があります。これが案内板の「宝塔」でしょうね。
塔の横に「供養菩薩」があります。
奧にも小さな祠が見えますが、案内板にも祠付近にも説明がないので何が祀られているのか不明です。

参道を少し登ると「鬼子母尊神堂」があります。
「鬼子母尊神」は"きしもじん"と読みます。元は人の子を食う夜叉でしたが、お釈迦さまの導きで改心、仏道に帰依し、子供を守り、安産をさせてくれる慈愛の仏となりました。
「尊」の一字を加え「鬼子母尊神」と記すのは、霊験あらたかな鬼子母神様に尊敬の意を込めたものです。

参道から見上げると「観音堂」が見えます。 

 

坂の途中に岩の間を通ります。岩の上に何か見えます。

そばによると、石仏がいました。説明がなかったのでどのような仏様なのかは分かりませんでした。

「観音堂」の真下から見上げています。大きな岩の下にお堂があります。岩の下に建てたのではなく岩をくりぬいて作られているようです。 

 

中は拝見していないのですが「観音堂」なので「観世音菩薩」が祀られているでしょう
観世音
菩薩は観音菩薩、観音様とも言われ、仏教の菩薩の一尊です。観世音とは、人々の救いを求める声を聞くと、ただちに救済する求道者の意味です。菩薩は、如来になるための修行中の仏様のことです。観世音菩薩は沢山の種類があり、宗派でも異なっています。また、比較的民衆にも浸透され信仰されている仏様です。

「観音堂」の後側から。

「観音堂」を正面真下から。 

 

「不動之瀧」
入り口にある橋の下に流れているのが"佐山川"で、橋より少し下流、案内看板の裏手側にあります。高さは2m弱ぐらいでしょうか?

「七面山會館」
七面山のすぐ手前にあり、遠方からの参拝者のための宿泊施設です。祭典の際、大勢の人がやって来ますので駐車場は広めです。
元はこの周辺にも人が住んでいたのですが、現在は住んでいる人はいません。

全景?左下に鳥居らしき物が見えますか? 

今回は「観音堂」までしか行っていません。(実は、「観音堂」が「本堂」だと思って引き返してしまったのですが・・・)「観音堂」から奧に続く道があるらしく、「開運橋」「本殿」「太平山三吉堂」「龍神沼」などがあります。
お堂や、像の説明はほとんどなく、道案内の立て看板等はありません。やはり、観光地としてではなく「霊場」が色濃く感じられます。

 

萱草七面山の伝説
 
昔、大阪に鴻池という商人がいました。鴻池は、身延山の七面山を深く信仰しており、朝夕の礼拝、読経を怠ったことはありませんでした。
あるとき、鴻池の夢枕にひとりの少女が出てきました。その少女は鴻池の読経に聞き入っているのでした。同じ夢が幾晩も続き、不思議なこともあるものだと、鴻池はとうとう夢の中で少女に声をかけました。
「あなたさまはどこのお方で、どうして毎晩私のお経を聞いておられるのですか」
少女は「あなたの心のこもったお経のありがたさに誘われてきたのです」と答えます。
鴻池は「そのお言葉は本当にうれしゅうございますが、まだまだ修行も信仰も至らないもので、身の縮む思いです」
「なんという清らかなお言葉、その心の木にはきっと美しい花が咲き、黄金の実がなることでしょう」
鴻池は、少女の天から響くような、凛とした声に驚き、
「あなたさまはただのお方とは思われませんが、どちらの高貴なお方でしょうか」と尋ねました。すると少女は、「私の正体をお見せましょう。一杯の水を持ってきてください」と言います。
鴻池が床の間の花瓶から一杯の水を汲んで差し出すと、少女はさっと自分の体に振りかけました。すると少女は見る間に美しい女龍となって、
「あなたの信仰を讃えて私の神体を見せたうえは、生涯私を祀り、私に仕えよ。
そうすれば、永久に身も心もすこやかに、七度の苦難を乗り越えるであろう。このことを伝達するあなたには、羽後の国阿仁の庄、萱草の宝を授けよう。」
そういうと、女龍は雲とともに身延の七面山の方角へ飛び去って行きました。

鴻池はこの出来事が、夢かうつつかもわかりませんでした。しかし迷った末、それから七日目に一切を捨てて、見たことも聞いたこともない阿仁の庄へ旅立ちました。

幾日も幾日も山を越え谷を渡ってようやく萱草にたどり着いた鴻池は、後悔の念でいっぱいでした。そこは、宝物はおろか石ころひとつない荒れ放題の山だったのです。
鴻池は、なんとか谷川へたどり着き、疲れ切った体を休めていると、サラサラという妙な音が聞こえてきました。ふと顔を上げると、すぐそばに巨大な蛇がいるではありませんか。
驚いた鴻池は無我夢中で山の中へ逃げましたが、走っても走っても、大蛇はついてきます。商人はとうとう大きな岩の前で倒れ、気を失ってしまいました。

どれほどの時間がたったのか、鴻池が気がつき、あたりを見回してみると、目の前の大岩には大蛇が体を擦った跡が残っています。そして辺りの木の枝という木の枝に、何百匹何千匹という蛇がぶら下がっていました。鴻池は恐ろしさのために声を失い、山の上へと駆け登って、小さな沼のほとりで再び気を失ってしまいました。

鴻池は夢をみていました。夢の中で顔に滴が落ちてきます。辺りを見回すとそこは深い谷間の岩の下でした。草の中を探すと自分の足跡は辰巳(東南)の方向へ向かっていました。これで帰ることができると安心しましたが、こんどは上から落ちてくる滴がとても重く感じられ、滴の垂れる岩を見上げてみると、それは鉱石の露だったのでした。そこで鴻池は目が覚めました。

鴻池は夢から覚めると、黙って辰巳の方角へ歩き出しました。やがて夢とそっくりの場所にたどり着き、緑青の吹いた黄金色の岩を発見しました。こうして萱草鉱山が開かれたということです。

鴻池は身延山から七面様を勧請して、大蛇の消えた洞窟の前に神社を建てました。それが萱草七面様で、御神体は女龍です。

その後、萱草と露熊の間を、夜な夜な大きな風雨を伴い、山を崩し岩を飛ばし火炎をまいて通うものがあり、男龍の仕業だという噂が広まりました。
のちに露熊七面様として男龍を祀ったところ、山は静まり、やがて露熊炭坑が開かれることになったということです。

北秋田市観光協会【あに】のホームページを(無断)拝借しました。

伝説の中で「露熊」が出てきましたので、入り口だけ・・・
露熊は七面山と峡谷が有名で、以前は集落もありましたが今では住んでいる人はいません。

荒瀬駅から程近い「露熊山峡(七面山)入り口」です。写真は萱草方面を見ています。このT字路を右折すると3km程(看板では)で露熊です。
道路の舗装はこの先左カーブを下り橋までです。以降は砂利道になります。橋を渡ると程なくY字路がありますので右(登る道)へ、道を登ると十字路がありますのでこれを直進、後は一本道です。
実は以前この道を通ったことがあります。車幅目一杯で結構な勾配のある道。しかも砂利道なので轍はあるし、待避所は草が茂ってぬかるんでいるで、あまりの悪路で途中で断念してしまいました。
この時は林道を抜けて根子まで行く予定で、Y字路を間違えてこの道に入り込んでしまい、途中で気が付いたものの、ついでに露熊でも観光と安易な考えで走り続けていたのですが・・・。
その時の記憶がよぎってしまい、今回は入り口だけで奧にまでは行きませんでした。まぁ、夏だと見所も少ないだろうしねぇ。秋の露熊山峡は紅葉が有名なので挑戦してみようかなとは思っています。

inserted by FC2 system