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特急 つばさ  上野−秋田間(奥羽線経由)の特急列車。
 後年は福島(一部上野)−秋田間の東北新幹線連絡列車となり
 後の山形新幹線に愛称を譲り消滅しました。
特急 いなほ  上野−秋田(一部青森)間(上越・羽越線経由)の特急列車。
 後年は新潟−秋田
(一部青森)間の上越新幹線連絡列車となり
 白新線経由になりました。
特急 たざわ  盛岡−秋田・青森間(田沢湖線経由)の特急列車。
 東北新幹線から秋田方面への連絡特急でしたが、後年秋田新
 幹線開業により廃止されました。
特急 む つ  秋田−青森間の特急列車。
 純粋に奥羽本線内だけの地方都市輸送という、地味な運用で
 した。後に「たざわ」に吸収され、短命な列車でした。
特急 鳥 海  上野−青森間(上越・羽越線経由)の特急列車。
 上越新幹線開業により登場した特急列車。後に寝台特急列車

 となったが、華々しいと言うよりも波乱に満ちた生涯でした。
特急 白 鳥  大阪−青森間の日本海側を縦貫する特急列車。
 
昼行特急列車最長距離1,040km、大阪から青森までを約13時
 間で結んでいました。
特急 こまくさ  山形−秋田間の特急列車。
 山形新幹線の開業により、特急「つばさ」の区間短縮により誕
 生。山形新幹線の新庄延伸に伴い廃止されました。
特急 かもしか  秋田−青森間の特急列車。
 秋田新幹線により、秋田−青森間に短縮された「たざわ」を引き
 継ぎ誕生。同区間の列車は「つがる」に統一され消滅しました。
特急 はつかり  上野−青森間の特急列車。
 北東北初の特急列車で、首都圏と東北をつなぐ以外に、北海道
 との連絡も担っていました。東北新幹線開業後は連絡特急に。
特急 みちのく  上野−青森間(常磐線経由)の特急列車。
 他の青森特急と同じく北海道連絡を担っていました。583系使用
 の昼行特急列車です。東北新幹線開業により廃止されました。
特急 ふるさと  上野−青森間(東北本線経由)の特急列車。
 東北新幹線開業により廃止された特急列車を補完するため、臨
 時特急として誕生しましたが、短命に終わりました。
特急 やまばと  上野−山形(奥羽本線経由)の特急列車。
 「つばさ」を補完する形で新幹線開業後もしばらく残されていまし
 たが、昭和60年「つばさ」に吸収される形で消滅しました。
特急 ひばり  上野−仙台間の特急列車。
 東北本線の代表列車で、車種もバラエティに富み、上野駅を賑わ
 した列車のひとつです。上越新幹線開業時に全廃されまし。
特急 やまびこ  上野−盛岡間の特急列車。
 「はつかり」を補完する形で、岩手県と首都圏を結ぶ列車でした。
 その名を東北新幹線に引き継ぎ在来線から姿を消しました。
特急 あいづ  上野−会津若松間(磐越西線経由)の特急列車。
 地味な存在ながら、会津地方への行楽特急との位置づけから、
 東北新幹線開業後も最後まで上野口に君臨していた列車です。
特急 ひたち  常磐線の昼行特急列車で、上野−平・原ノ町・仙台間での運転。
 茨城県内の輸送に重点を置いていた列車で、その本数は最大で
 1日26往復まで増大しました。
特急 と き  上越線を代表する特急列車で新潟と首都圏の連絡の他に、上越
 線沿線の行楽地への輸送も担っていました。昭和57年月、上越
 新幹線の開業に伴い愛称を新幹線に譲り引退しました。
特急 新 雪  上越方面へのスキー客輸送列車として、冬季のみ設定されてい
 た季節列車です。晩年は「シュプール号」にその座を奪われ、設
 定されなくなってしまいました。。
特急 あさま  信越本線を代表する特急列車で、長野と首都圏の連絡の他に
 
沿線の行楽地への輸送も担っていました。長野新幹線の開業に
 より平成910月、新幹線にその愛称を譲り引退しました
特急 白 山  「あさま」を補完し長野経由で金沢まで足を延ばしていました。平
 成9年10月「あさま」と共に長野新幹線にその役割を譲り引退しま
 した。
特急 はくたか  「白山」と同様金沢までの運転ですが、こちらは長岡経由での運
 転でした。
上越新幹線の開業に伴い、昭和
5711月をもって廃
 
止されましたが、平成93愛称が復活しました。
特急 そよかぜ  春から秋までの季節列車で、避暑地「軽井沢」への行楽列車とし
 て運転されていました。長野新幹線の開業を待たずに
平成98
 月に運転を終了し、事実上の廃止となりました
特急 白 根  リゾート地、草津、白根方面への観光を担っていました。急行「草
 津」の格上げにより誕生した列車も、後に「草津」に統合されると
 いう皮肉な運命をたどりました。
新特急 なすの  東北新幹線開業により、東北本線から撤退した在来線特急に代
 わり、中距離区間を担っていた列車です。集客に伸び悩み衰退し
 ましたが、愛称は新幹線へ受け継がれました。
新特急 谷 川  上越新幹線開業により、上越線から撤退した在来線特急に代
 わり、中距離区間を担っていた列車です。後に「水上」と改称し、
 「たにがわ」は新幹線の愛称に譲りました。
新特急 草 津  急行「草津」と特急「白根」の統合により誕生した列車で、「白根」
 を継承した列車です。
 
新特急 あかぎ  「谷川」の補間列車とも言える地味な存在でしたが、近年は多岐
 に渡り活躍な場を広げています。一方、運用は煩雑で分かりにく
 い列車になってしまいました。 
特急 あまぎ  東京方面から伊豆へ向かうリゾート特急です
 急行「伊豆」の格上げにより誕生し、後に「伊豆」と統合され特急
 「踊り子」となります。
特急 踊り子  特急「あまぎ」と急行「伊豆」の統合により誕生した特急列車で
 す
。当時、東京駅発着の東海道本線昼行特急としては唯一の列
 車でした。(客車、サロン車は別途掲載)
特急 踊り子  14系客車を使用した多客臨の「踊り子」です。
 牽引機にEF58が充当されることがあるのでファンには人気でし
 た。
特急サロンEXP
    踊 り 子
 "サロンエクスプレス東京"を使用した「踊り子」です。
特急サロンEXP
    そよかぜ
 "サロンエクスプレス東京"を使用した「そよかぜ」です。
 運転区間は逗子−軽井沢となり、電車の「そよかぜ」とは運転区
 間が異なっていました。
房 総 特 急  東京方面から房総半島へ向かう特急群です。写真の数が少ない
 ので「さざなみ」「わかしお」「しおさい」「あやめ」「すいごう」の5列
 車を一括りにしました。
特急 あずさ  東京の副都心新宿と甲府、松本方面を結ぶ特急列車です。ビジ
 ネスはもとより、登山者などの利用者も多くレジャー特急の側面も
 あります。
特急 かいじ  特急「あずさ」の甲府発着の列車を分離し誕生した特急列車で
 す。兄弟列車としては横浜方面からの臨時特急「はまかいじ」が
 あります。
特急 みのり  平成9年誕生の比較的新しい列車で、主に長野−新潟間の地方
 都市を結ぶ列車でした
。運転期間は短く、平成14年には快速列
 車に格下げされ「くびき野」として運転しています。
特急 しなの  名古屋から木曽路を分け入り、長野方面へ抜ける特急列車で、
 ”振り子式”の381系電車を使用しています
。1往復は大阪に足を
 延ばし、名古屋−大阪間の唯一の昼行特急列車です。
特急 ひ だ  名古屋から岐阜を経由し高山本線の高山を結ぶ列車で、一時期
 は高山本線を走破し金沢まで足を延ばしていました
。気動車特急
 列車で初めて絵入りヘッドマークを掲載した列車です。
特急 南 紀  紀勢西線電化により、「旧くろしお」運転区間の未電化区間を引き
 継ぎました
。沿線には観光地も多く観光客輸送に重点を置いてい
 ました。キハ82系最後の定期列車でした。(平成4年3月置き換え)
特急     
  北アルプス
 名鉄キハ8000系を利用し、名鉄、国鉄(高山本線)、富山地方鉄
 道の3路線を直通運転の列車でした。車両の塗色やマークは国
 鉄キハ82系に準じています。平成13年10月廃止されました。
特急 しらさぎ  北陸の主要都市、金沢・富山と、新幹線連絡の名古屋・米原を結
 んでいます
。481系電車を使用した最初の列車で、「しらさぎ1号」
 は東海道本線・北陸本線でのトップナンバー”1M”です。
特急 加 越  湖西線開業で、それまで米原経由の北陸方面への特急列車が
 湖西線経由となったため、北陸方面と新幹線の連絡特急として
 誕生
。平成15年、同じ経路の「しらさぎ」に吸収されました。
特急 北 越  北陸の主要都市、金沢・富山と新潟を結んでいて、長岡で上越新
 幹線に連絡しており、首都圏とのアクセスには重要な列車でし
 た
。(現在は「はくたか」が主流、将来は北陸新幹線に。)
特急 かがやき
   
  きらめき
 「かがやき」は「北越」の、「きらめき」は「しらさぎ」の速達列車とし
 て誕生しました。塗色変更した専用車両を使用していましたが、
 それぞれ、「はくたか」「しらさぎ」に吸収され消滅しました。
特急 雷 鳥  大阪と北陸の主要都市を結ぶ特急列車で、最大20往復運転され
 ていた北陸本線の代表列車でした
が、「スーパー雷鳥」更に、「サ
 ンダーバード」(681系)に押され、平成23年に廃止されました。
特急 北近畿  福知山線、山陰本線一部の電化に伴い、同区間の特急・急行列
 車を統合し誕生しました
。ネーミングのせいか、運転区間のせい
 か地味な列車でした。平成23年「こうのとり」と改称されました。
特急 くろしお  大阪の天王寺と、紀伊半島の西側を通り新宮までを結ぶレジャー
 特急列車です
。381系電車で運転されていましたが、平成24年に
 は全て287系に置き換えられました。
特急 あさしお  京都と山陰の主要都市城崎・鳥取・米子を結び、ビジネス・観光
 の重要な足でした
。「1号」は宮津線を経由するため、山陰本線
 を走行中の「3号」に追い抜かれてしまいます。
特急 まつかぜ  山陰の最初の特急列車で、大阪から博多まで山陰本線経由のロ
 ングランでした
が、後に米子までに短縮され、昭和61年、経由の
 福知山線電化で誕生した「北近畿」に統合され廃止されました。
特急 はまかぜ  大阪から播但線経由で鳥取・倉吉を結んでいました。「あさしお」
 「まつかぜ」を利用しにくい神戸・姫路地域からは山陰に直通する
 特急として便利です。平成22年、キハ189に置き換えられました。
特急 やくも  山陽新幹線に連絡、岡山から伯備線経由で出雲市を結んでいま
 す。381系電車を使用していますが、電化以前はキハ181系で、
 気動車特急列車では唯一のエル特急に指定されていました
特急 お き  小郡から山口線を経由し出雲市・米子・鳥取などの山陰主要都
 市を結び、山陰から新幹線に連絡し九州方面への最短ルートで
 す。
平成13年にはキハ187系(スーパーおき)に変更しました。
特急 いそかぜ  昭和60年「まつかぜ」の運転区間短縮で米子−博多間の特急列
 車になりました
。徐々に運転区間を減らし、平成17年廃止されま
 した。当時は本州と九州を直通する唯一の昼行特急列車でした。
特急 南 風  土讃本線を経由し四国の屋根を縦断、高知を経て中村線の中村
 まで運転しています。一時期九州内の急行として運転されていま
 したが、昭和47年に古巣の土讃本線に戻りました。
特急 しおかぜ  四国の表玄関「高松」と予算本線の主要都市「松山・宇和島」を
 結んでいます
。「南風」と共に、気動車王国、四国の特急列車とし
 て走り続けました。
特急 有 明  山陽新幹線に連絡し、博多から熊本・西鹿児島を結んでビジネ
 ス、観光に利用されていました。783系車両の投入、787系「つば
 め」の台頭。九州新幹線開業により急激に縮小されています。
特急 にちりん  山陽新幹線に連絡し、博多・小倉から日豊本線経由で大分・宮
 崎・西鹿児島を結んでいます
783系車両の投入以降、新型車両
 の投入や区間縮小により衰退してしました。
特急 かもめ  山陽新幹線に連絡し、博多から長崎を結んでいます。昭和51年
 の電車化以降、数往復は佐世保行きの「みどり」を併結していま
 した。
特急 みどり  長崎発着の「かもめ」に併結し博多と佐世保を結んでいます。分
 割・併合は肥前山口で行います。昭和61年には単独運転になり
 ましたが、昭和63年から再度併結が開始されました。
特急 北 斗  北海道の表玄関、函館と北海道最大の都市、札幌を結ぶ列車で
 す。過去には青函連絡船に接続し、ビジネス、観光に寄与した列
 車です。
特急 北 海  「北斗」同様、函館−札幌間の特急列車ですが、通称”山線”と
 呼ばれる函館本線を走破します。距離的には短いのですが、急
 勾配を登らなければならないので、20分ほど多くかかります。
特急      
 オホーツク
 札幌と北海道の地方都市、旭川・網走を結ぶ最北の気動車特急
 列車です。ビジネス、観光にも便利です。
 
特急 おおとり  「オホーツク」同様、網走を結んできますが発着は函館となり、約
 700Kmを走破します。のちに、系統整理で「北斗」「オホーツク」に
 分割され廃止されました。
特急 おおぞら  札幌−釧路間の気動車特急列車です。以前は全列車函館発着
 でしたが、1往復を除き札幌発着となってしまいました。「スーパ
 ーおおぞら」の登場で「おおぞら」は吸収消滅します。
特急 とかち  平成2年9月の登場で、キハ183系を使用した札幌と帯広を結ぶ
 列車です
。平成3年7月からは「スーパーとかち」として運転され、
 1年に満たない短命な列車でした。(写真はありませんm(_ _)m)
特急 いしかり  北海道初の電車特急列車で、札幌−旭川を結んでいました。登
 場時は485系1500番台を使用していましたが、厳寒の北海道は
 厳しく故障続出、781系に置き換わります。
特急      
 ライラック
 室蘭本線・千歳線の電化が完了により、特急「いしかり」を受け継
 ぎ誕生。運転区間は室蘭−札幌−旭川となります。道央中心都
 市を結ぶ列車で、ビジネス向きの列車でした。
特急      
ホワイトアロー
 千歳空港−札幌−旭川を結ぶ列車で、空港と中心都市を結ぶビ
 ジネス特急です。のちに「ライラック」を統合し「スーパーカムイ」に
 発展します。
特急 すずらん  新千歳空港開業により、「ライラック」の系統を分離し、室蘭−札
 幌間に特急「すずらん」が誕生します。
 
   
 
 
   
 
 
寝台特急    
    あけぼの
 上野−秋田・青森間(奥羽線経由)の寝台特急列車。
 奥羽地方と首都圏を連絡する列車で、最盛期は3往復設定され
 ていました。後に上越線経由で「鳥海」を引き継ぎました。
寝台特急    
    日 本 海
 大阪−青森間の日本海側を縦貫する寝台特急列車。
 大阪と東北地域を結ぶ重要な輸送手段です。最盛期は2往復
 の設定があり、多客期は20系や583系の姿が見られました。
寝台特急    
    出  羽
 上野−秋田間(上越線経由)の寝台特急列車。
 
奥羽地方と首都圏を連絡する列車で、急行「鳥海」の格上げで
 誕生するも、寝台特急「鳥海」に吸収されるという数奇な列車
寝台特急    
    鳥  海
 上野−青森間(上越・羽越線経由)の寝台特急列車。
 寝台特急「あけぼの」の1往復を経路変更し誕生したものの、もう
 1往復の経路変更で「あけぼの」に吸収する形で消滅しました。
寝台特急    
    はくつる
 上野−青森間(東北本泉経由)の寝台特急列車。
 長らく寝台電車583系で走り続けていたが、晩年に客車に変更さ
 れるも、東北新幹線の八戸延伸開業に伴い廃止されました。
寝台特急    
    ゆうづる
 上野−青森間(常磐線経由)の寝台特急列車。
 最大1日7往復の大所帯でした。北海道連絡特急として使命を担
 っていましたが、青函トンネル開業を期に衰退していきました。
寝台特急    
    北  星
 上野−盛岡間(東北本泉経由)の寝台特急列車。
 青函航路接続を担う東北寝台特急を補完し、岩手周辺に配慮し
 た列車でした。東北新幹線開業により使命を終えました。
寝台特急    
    北 斗 星
 上野−札幌間の寝台特急列車。現在(H23現在)も活躍している
 数少ない寝台特急列車です。人気を博した列車ですが定期1往
 復まで削減されてしまいました。
寝台特急    
   エ ル ム
 上野−札幌間の寝台特急列車。繁忙期の「北斗星」を補完する
 臨時列車です。準急、特急、寝台特急と変遷、登場と消滅を繰り
 返した愛称も、客車列車衰退の時世で消滅してしまいました。
寝台特急    
    北  陸
 上野−金沢間(上越線経由)の寝台特急列車。寝台特急の中で
 は最も短い運転距離で、派手なプロフィールもなく地味な存在で
 はありましたが、上野口に最後まで君臨した列車のひとつです。
寝台特急    
  カシオペア
 上野−札幌間を新造されたE26系寝台客車で結んでいます。寝
 台列車が軒並み廃止されている昨今、高額な2人用個室A寝台
 に関わらず豪華編成に高い人気を誇っています。
寝台特急    
    富  士
 東京−西鹿児島間の寝台特急列車。日本最長距離1,574.2kmを
 24時間以上かけてのロングランでした。後に宮崎までに短縮さ
 れ、その座を「はやぶさ」に譲ることとなりました。
寝台特急    
    さ く ら
 東京−長崎・佐世保間の寝台特急列車。栄光のトップナンバー
 「1列車」でしたが、利用客離れに歯止めが立たず、平成17年3月
 1日に惜しまれつつも廃止となりました。
寝台特急    
    あさかぜ
 東京−博多間の寝台特急列車。最初に20系寝台客車を投入さ
 れた列車で、”動くホテル”と称さた元祖ブルー・トレイン「あさか
 ぜ」も客車列車衰退により、平成12年12月に廃止となりました。
寝台特急    
    はやぶさ
 東京−西鹿児島間の寝台特急列車。「富士」が運転距離短縮に
 よって、日本で最長距離(1,515.3km)を運転する旅客列車となりま
 した。晩年は、「さくら」や「富士」との併結運転を行っていました。
寝台特急    
    み ず ほ
 東京−熊本・長崎間の寝台特急列車。「はやぶさ」「さくら」を補完
 するような地味な列車であったため、利用客に翳りが見え始めた
 時世、東京口の他の列車より一足早く廃止されています。
寝台特急    
    出  雲
 東京−出雲市・浜田間の寝台特急列車。都心と山陰地方を結ぶ
 利用者の多かった列車でした。後に寝台電車「サンライズ出雲」
 が登場しますが、客車「出雲」は平成18年3月に廃止されました。
寝台特急    
    瀬  戸
 東京−宇野間の寝台特急列車。後に本四備讃線(瀬戸大橋線)
 の開通により高松まで延伸されました。平成10年7月、寝台電車
 「サンライズ瀬戸」に引き継ぎ、客車「瀬戸」は廃止されました。
寝台特急    
    紀  伊
 東京−紀伊勝浦間の寝台特急列車。誕生時から「いなば」(後の
 「出雲」)に併結され、昭和53年10月「出雲」の増強により、廃止
 されてしまいました。
寝台特急    
    金  星
 名古屋−博多間の寝台特急電車で、東海道新幹線に接続しビジ
 ネス客に人気でした。中京と北九州を結ぶ唯一の特急でしたが、
 山陽新幹線開業により衰退し、昭和57年に廃止されました。
寝台特急    
    つ る ぎ
 大阪と新潟を結ぶ寝台特急です。同区間に「日本海」も走ってい
 ますが、新潟付近は深夜帯となり利用しにくいことから、これを補
 完する形で誕生しました。客車衰退で平成8年廃止されました。
寝台特急    
トワイライトEXP
 週4往復の臨時列車。客車列車衰退のご時世でも、スイート・ロイ
 ヤルはプラチナチケットという人気列車です。大阪−札幌間のロン
 グランで平成25年時点で日本での最長距離運転列車です。
寝台特急    
    あかつき
 新大阪−長崎・佐世保間の寝台特急列車。最盛期は7往復運転
 され、一部列車は「明星」を併結、晩年は「彗星」及び「なは」を併
 結していました。平成20年3月に廃止されました。
寝台特急    
    明  星
 新大阪−西鹿児島間の583系電車及び客車で最大7往復運転さ
 れていましたが、徐々に減便され、最後に残った1往復は「あかつ
 き」と併結運転されました。昭和61年11月廃止されました。
寝台特急    
    彗  星
 新大阪−都城間の寝台特急で、583系電車及び客車で最大5往
 復運転されていました。晩年は「あかつき」と併結され、平成17年
 10月に廃止されました。
寝台特急    
    な  は
 新大阪−西鹿児島間の583系電車又は客車で運転。終始1往復
 でしたが、沖縄本土復帰を願い命名された列車ゆえ、大阪口で
 最後まで残った列車です。晩年は「あかつき」と併結しました。
寝台特急    
    併結運転
 併結を行っていて、専用のヘッドマークを掲げて運転されていた
 寝台特急列車です。
 さくら、はやぶさ、富士、明星、あかつき、なは、彗星があります。
   
 
 
   
 ※急行列車は客車を使用した列車を掲載しました(一部例外)
 
寝台急行    
    銀  河
 東京−大阪間の急行寝台列車で、時間帯を有効に利用できるた
 めビジネス客に人気がありました。どの時代でも特急と同等の設
 備を持ちながら、最後まで急行列車として活躍しました。
寝台急行    
    あおもり
 大阪−青森間の日本海側を縦貫する臨時寝台急行列車。
 20系客車を使用した臨時寝台特急「日本海」の急行格下げで誕
 生。後年は車種を583系電車に変更しました。
寝台急行    
    玄  海
 臨時寝台特急「あさかぜ81・82号」の急行格下げにより臨時寝台
 急行として誕生。車種も20系客車を使用し、スジも「あさかぜ81・
 82号」を踏襲しています。
寝台急行    
    霧  島
 20系客車を使用していた臨時寝台特急「明星81・82号」の格下げ
 により、臨時寝台急行「霧島」として運転開始しますが、平成6年
 12月に廃止されました。
寝台急行    
    雲  仙
 20系客車を使用していた臨時寝台特急「あかつき81・82号」の格
 下げにより、臨時寝台急行「雲仙」として運転開始しますが、平成
 6年12月に廃止されました。
寝台急行    
    お  が
 上野−秋田間の季節又は臨時の寝台急行列車で、20系寝台客
 車で編成されていました。過去には昼行気動車急行、夜行客車
 急行あわせて3往復運転されていました。
急行      
    津  軽
 上野−青森間(奥羽本線経由)の夜行急行列車。
 誕生以来客車を使用し、寝台車を連結していましたが、晩年は電
 車化(583系・485系)されました。
急行      
    あ き た
 新宿−秋田間の臨時夜行急行列車で、14系座席車に14・24系
 寝台車を連結していました。2年間の運行と、臨時列車と言うこと
 もあり、かなりマイナーな列車です。
急行      
    はまなす
 津軽海峡線の開業により誕生。青森−札幌間を結ぶ夜行急行列
 車でした。最後の急行列車も、平成28年3月、北海道新幹線の開
 業により廃止されました。
急行      
    能  登
 上野−金沢間(信越本線、一時期上越線経由)の夜行急行列車。
 客車を使用し、寝台車を連結していましたが、晩年は電車化(489
 系)され、後に臨時列車へ格下げされました。
急行      
    アルプス
 新宿−白馬間の臨時夜行急行で、14系座席車に14系寝台客車
 を連結していました。定期の昼行列車は165系後に183系電車を
 使用していました。登山客に人気の列車でした。
急行      
    きたぐに
 大阪−新潟間の夜行急行で、583系電車を使用した座席・寝台
 混合列車です。583系電車の最後の定期列車も平成24年に定期
 を退き、同年末年始の運転を最後に廃止されました。
急行      
    ち く ま
 大阪−長野間の夜行急行列車で、12系座席車に14系寝台車
 を連結していました。後に383系(ワイドビュー)に置き換えられま
 すが、臨時列車に格下げ、平成17年に消滅しました。
急行      
    かいもん
 鹿児島本線経由で門司港と西鹿児島を結んでいました。寝台車
 を連結し、20系から25形に変更されます。平成5年に廃止されま
 した。
急行      
    日  南
 日豊本線経由で門司港と西鹿児島を結んでいました。「かいも
 ん」と同様20系寝台車を連結し、後に25形に変更されます。「か
 いもん」と共に平成5年に廃止されました。
急行      
 由布・火の山
 「由布」は博多−別府(久大本線経由)、「火の山」は熊本−別府
 (豊肥本線経由)と、温泉地「別府」を拠点としていました。
平成4
 年に特急格上げされました。
急行      
    ま り も
 札幌−釧路を結ぶ夜行急行列車で、寝台客車を連結していまし
 た。平成5年3月「おおぞら」に統合廃止されましたが、平成13年、
 特急「まりも」として復活、平成20年まで運転していました。
急行      
    ニ セ コ
 昭和40年代、C62が重連で牽引していたことでも有名です。その
 後DD51に代わりましたが、函館本線山線を重連で牽引していま
 した。定期運用は昭和61年11月まででした。
急行      
    利  尻
 北海道の最大都市札幌と最北の都市稚内を結ぶ夜行客車急行
 列車でした。寝台客車を連結しています。平成3年からはキハ400
 系と 14系寝台客車を連結した混結列車が運転されます。
急行      
    宗  谷
 函館と稚内を結ぶ客車急行列車でしたが後に札幌発着に短縮さ
 れます。昼行列車ですが客車は「利尻」と共通運用で、寝台車を
 連結しています。
急行      
    天  北
 「利尻」同様、札幌と稚内を結ぶ客車急行列車でしたが、こちらは
 昼行列車で、天北線を経由します。客車は「利尻」と共通運用で
 寝台車を連結しています。天北線廃止に伴い「宗谷」へ編入。
急行      
    大  雪
 前身は急行「石北」です。札幌と網走を結ぶ夜行客車急行列車
 で、寝台客車を連結していました。平成4年特急「オホーツク」に
 吸収され廃止となります。
シュプール  スキー客輸送のために運転を行っていた臨時列車で、毎年冬期
 間の12月〜翌年3月まで運行されていました。スキー人口の減
 少に伴って衰退してしまいました。
カートレイン  寝台客車又は座席車と貨物車を連結し、乗客と車を運搬するとい
 うカーフェリーの鉄路版です。人気だった列車も、利用者減少によ
 り、平成8年を最後に設定がなくなりました。
湘南ライナー  通勤時間帯の利用客の着席が困難な状況を打開するため登場し
 た快速列車です
。登場時は東京・新宿−小田原間の列車でした
 が、後年、他地区でも派生しています。
   
 
 
お ま け  
 ミニ特集。紅葉の
只見線です。(H13.11.5撮影)
 
ヘッドマーク
 ギャラリー
 電車、気動車、客車の愛称幕(ヘッドマーク、テールマーク)の画
 像です。もともとパソコンの壁紙用に作成したものですが、せっか
 くなのでリストだけですが公開してみました。




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