根子集落へようこそ!

根子集落を見物と言えば、恐い物見たさの「暗くて狭い」トンネルと、トンネルを出た直後に広がる集落の風景でしょう。四方を山に囲まれて、すり鉢状の土地に家々が立ち並び、わずかばかりの棚田がある。人々はそれらを、「日本の原風景」と称されている。みたいな?
そんな根子の風景を紹介します。

 

では、お馴染み、トンネルから出た直後に目にする風景をご覧下さい。
東側から西方向を眺望しますので、光線状態は午前中の方がよろしいです。
 
正面に見える山は「根烈岳(ねれつだけ)」(標高835.1m)、稜線の向こうは上小阿仁村沖田面(萩形、矢木沢)になります。
山頂は樹木で覆われていて、お世辞にも見晴らしは良いとは言えませんでしたが、晴れていると木の隙間から男鹿半島、日本海が見渡せました。
萩形(ダム建設で集落消滅)、矢木沢集落は、その昔、根子の住民が開拓、移住した集落で、この山を越えて行き来していました。根子のしきたりで、長男が家督を継ぎ、次男以降は集落から出るのが普通で、その受け皿に作られた集落です。見ず知らずの土地に根子の存在・文化を広げたくなかったのでしょう。昔はしきたりを重んじた閉鎖的な土地柄だったようです。(マタギ文化や落ち延びた武将の逸話があるのもうなずけます)
交通が不便であった当時は、日本海の海産物を五城目、萩形を経由して根子へ運んだと言われています。
私の父は萩形の出身で、若かりし頃、この道を繁く通っていたのでしょう。40年も前に一度だけ父に同行して山を越えたことがあります。山を下ると赤沢集落があり、萩形より奧に集落があったことに驚きました。
地図を見ると、小阿仁川の支流にもかかわらずなぜか「根子沢」と言うのがあります。赤沢集落から続く山道に沿った沢、この道をたどると根烈岳の向こう側「根子」に続くのです。根子へ続く道に沿う沢なので「根子沢」なのでしょう。
鉄道が延伸され、自動車の普及もあり、やがてこの山道は林業者とキノコ取りの人々以外には忘れられてしまいました。それでも、私が小学生高学年だった当時からは、遠足と称して根烈岳登山が毎年行われていました。今は小学校も統合され無くなってしまったため、この山に登る人は皆無と言えます。人が一人やっと通れるような獣道も草に埋もれ、道の形はなしていないでしょう。そもそも、当時の登山口すら無くなってしまっていますので、新しく作られた林道からはどうやって入山するのか登山口が分かりません。
 

春、桜の季節。
山の沢筋には残雪があります。
意外なことに、集落内には桜の木があまりありません。
(2009/5/2撮影)

初夏。梅雨のさなか。
新緑が深緑に変え、田んぼの早苗がグングン成長する季節です。
(2012/6/21撮影)

夏。
山間とはいえ、夏は暑い。連日の猛暑でも一雨通り過ぎると爽やかな風が通り抜ける。
(2009/7/22撮影)

 

初秋。
秋風が心地良い季節。山の木々はまだ蒼いものの、田んぼでは稲穂が黄金色に染まり、間もなく収穫です。
(2012/9/17撮影)

秋。
秋も深まり、木々の葉が色を変えていきます。彩りの季節は短く、間もなく木枯らしが吹く季節です。
(2011/10/24撮影)

晩秋。「根烈岳」の初冠雪
この年は早くも冬の便りがやって来ました。まだ10月です。 ^ ^;
(2010/10/27撮影)

 

初冬。
木々が葉を落とし山に初雪が降る頃
には、人々は冬仕度を終え、長い雪の季節を覚悟しなければなりません。(2012/11/19撮影)

初冬。里の初雪。
降っては積もり、積もっては消えを数回繰り返し、やがて春まで消えない、雪との戦いが始まります。
(2011/11/22撮影)

冬。雪晴れの日。
一冬に何度もお目に掛かれない快晴の日。青空が見えなくても、雪さえ降っていなければ安堵する・・・諦めの心境です。(2011/12/21撮影)

 

厳冬。
年が明け、2月中旬までが最も厳しい季節です。
意外に屋根には雪が積もっていないとお思いでしょう?滑り落ちている、又は降ろしているのです。積もったら家がつぶれますから。(2012/1/6撮影)

厳冬。雪晴れの日。
雪に埋もれた山と集落。なかなか美しい姿ではありませんか?ここに住んでいなければ、素直に感動できるのですが・・・こんなに積もりやがって。
(2009/1/28撮影)

冬の終わり。
降る雪の量が少なくなり、陽射しに暖かさを感じる季節。まだ、こんなにも雪が残っているのに雪解けを予感する冬の終わり。
(2012/2/29撮影)

 

同じくトンネル出口から北側方向です。
旧小学校を望みます。光線は、ほぼ全日順光です。
建物は校舎がチラリと見える程度で面白みに欠けますが、紅葉の時期は旧小学校の裏山「自然観察園」が綺麗に色づきます。
 

1013年の秋に校舎が取り壊されてしまいましたので、この眺望としては小山の紅葉となってしまいます。
(2010/11/6撮影)

 

 

 

次に旧小学校へ続く坂道の途中から。
集落の北東側から東〜南方向を眺望できます、光線状態は終日逆行気味なので曇りの日が良いかもしれません。
 

カメラを南側に向けると、田植えが終わった、いかにも農村と言ったような風景です。
(2014/6/16撮影)

カメラを東側に向けました。
多くはコンバイン刈り取りですが、わずかながらハサ掛け(天日干し)の農家も残っています。
(2012/9/17撮影)

 

 

集落西側の棚田の農道から東〜南側方向です。
トンネル方向からの眺望を真逆から見たアングルです。
 
トンネルの上の山は「八千葉(やちば)」と言い、昔はこの頂上に小学校がありました。集落内の道路も現在のように整備はされておらず、集落から急な山道を登らないと学校にたどり着けませんでした。毎日です。しかもこの小学校、山の反対側、萱草、伏影、笑内集落の児童も山を登り通学していたのです。昔の人はすごいですね。
冬は、児童が登校する前に雪を踏み固め道を作る作業が必要で、親御さんの苦労はいかばかりかと。現在の場所に移転してホッとしたことでしょう。
 

新緑の八千葉と八重桜。
農道の低い位置からの撮影なので集落は見渡せませんが、桜と新緑がマッチします。
(2012/5/17撮影)

棚田と集落。
正面の山々が集落を隔絶していました。
中程、霞んでいる山は笑内側の山。ちょうど笑内駅正面に見えている山です。(2014/6/18撮影) 

立派な入道雲。
左下に白く見えているのがトンネルです。
(2011/7/13撮影)

 

夕方、東の空にできた大きな虹です。
田んぼでは間もなく稲刈りが始まります。
(2013/9/26撮影)

八千葉の紅葉。
根烈岳を眺めているあなた、トンネルの山はこんなに綺麗に紅葉しているんですよ!
(2007/10/31撮影)

少し農道を北東側に下った位置から集落の南側を望みます。
(2007/10/31撮影)

 

他にもこんな景色が見られます。
 

トンネルから少し下った位置に「花菖蒲畑」があります。
個人の畑(当然私有地)で、夏の風景に彩りを添えてくれます。
(2011/7/10撮影)

旧小学校の通学路を下った場所に小さな池があり、現在は湿地となり水芭蕉が群生しています。写真は初夏の物なので、葉とヨシが生い茂っています。4月末ごろが見頃でしょう。(2014/6/18撮影) 

これも見頃は過ぎています。地図からは外れていますが、”至 孫沢”と書かれている付近です。この林道の沢や窪地には間違いないと言っていいくらい水芭蕉が咲いています。(2010/5/3撮影)

 

集落は見えませんが棚田があります。現在、作付けされた田としては集落から最も奧にある田の一つです。撮影地の裏手には縄文遺構があり、地図からは外れていますが、”至 鬼舘野”と表記された農道を奧に進んだ場所です。(2014/6/18撮影)

集落西側外れの小高い場所からは森吉山を眺めることができます。この場所は、地図の左側”至 根烈岳”と表記された少し奧の農地です。(実は、我が家の田なのですが、現在田は作っていません)
(2008/4/29撮影)

これは現在使われていない牛舎です。鉄骨造りなので簡単には潰れないでしょうが、さすがに奥の方では雪下ろしをしています。この雪の量を見たらさすがに嫌になるでしょ?
(2012/1/16撮影)

 

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